はじめに:生きるためだけに働く人生でいいのか?
大学4年の秋。内定式が終わり、いよいよ働くことが現実になった頃。
こんな考えが、ふと頭に浮かんだ。
──このまま、45年も働き続けるのか?
終わるころには体も心もボロボロ。やりたいこともできずに終わるのか……?
それって、なんのために生まれてきたんだろう。
少し極端かもしれないけれど、当時は本気でそう思った。
サラリーマン以外の生き方を探して
そこから、「サラリーマンから脱出する方法」を調べはじめた。
最初に出てきたのは、フリーランスやノマドワーカーといった「個人で働く道」。
興味のあった投資も調べたが、FXやデイトレはリスクが高く、最終手段だと感じた。
投資信託との出会いが人生を変えた
そんな中で出会ったのが、「投資信託」という選択肢だった。
当時の僕は貯金も少なく、リスクのある投資は怖かった。
でも投資信託は、経済成長率に連動する指数に任せれば積立で堅実に増やせる方法として、
「このまま何もしないよりはやってみよう」と思える選択肢だった。
両学長との出会いとFIREの衝撃
あれは年が明けた1月末。副業や収入源を模索していた頃。
YouTubeで偶然出会ったのが、「リベラルアーツ大学」両学長の動画だった。
最初は疑いながらも、気づけば全動画を視聴していた。
それまでの知識とも整合性があり、すっと腑に落ちた。
その中で出会ったのが、「経済的自立」や「セミリタイア」という考え方。
今では「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」という名前が定着しているけれど、
それこそが、当時の自分が本当に目指したかった生き方だった。
なぜ、FIREだったのか?
「経済的自立」──その言葉を初めて聞いたとき、心の底から驚いた。
こんな考え方があるのか、と。
お金が、さらにお金を生み出す。
それが資本主義の本質だと知った。
でも、その本質的な知識が、今のネット社会ですら広く知られていないことに衝撃を受けた。
その“リテラシー差”に、強烈な違和感を覚えた。
僕にとっての「自由」とは何か
僕にとって「自由」は、選べることだった。
働く or 働かない、学ぶ or 遊ぶ、何をしても、しなくてもいい。
その選択肢を自分の手に取り戻すことが、人生に本当に必要だと感じていた。
でも現実は、お金がなければ選ぶ自由は手に入らない。
「生活のために働くしかない」状態では、結局、
狭められた選択肢の中から“選ばされている”だけになる。
FIREは自由の手段であり、目的ではない
FIREは、「お金があるから自由だ」と言っているわけじゃない。
「最低限のお金があるから、本当の選択肢から選べる」
その仕組みに、僕はものすごく納得した。
僕が目指すFIREのかたち
僕の理想は「完全なリタイア」ではない。
目指しているのは、お金に縛られず、やりたいことをやって、それが仕事になるような生き方。
たとえば、ゲームを作ること、本を書くこと。
それがたとえ収益にならなくても、誰かの役に立ったり、自分の納得感につながればそれでいい。
「お金のためにやる」ではなく「やりたいからやる」──それを成立させるのが、僕にとってのFIREだ。
ただ、それを丁寧に説明すると少しややこしくなるので、今は「FIRE」と表現している。
“働かない”が目的じゃない。
“働かなくてもいい”という前提の上で、選んで働く。
やりたいことがあれば働けばいい。なければ休めばいい。
その「選べる自由」をつかむために、僕は今日も──
自由の途中を歩いている。
👉 まだ読んでいない方はこちらから:
普通に生きたら終わりだから、「自由の途中。」を始める
📝 次回は、「FIREをどう実現していくか?」をテーマに書いてみようと思います。
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