──情報があふれる世界で、“自分なりの投資スタイル”にたどり着くまでの3年間
「老後2000万円」「今すぐ始めないと手遅れ」──煽られない自分へ
ニュース、SNS、広告、会話。
どこを見ても、不安を煽る言葉があふれている。
当時は「自分だけが何も分かっていない気がして」焦ったりもした。
でも、投資を始めて数年が経った今、そうした情報に対して、以前のように動揺することがなくなった。
むしろ「この数字はどんな前提で語られている?」「誰が得をする話なんだ?」と冷静に考えるようになった自分がいる。
本記事では、投資を通じて得た以下の変化を紹介する:
・不安を煽る情報に反応しなくなった理由
・怪しい話を“仕組み”で見抜けるようになった変化
・時間に対する価値観のシフト
・他人ではなく“自分”で選ぶようになった感覚
煽り文句に動じず、「構造で見る」ようになった
「老後に2000万円が必要」「年金では暮らせない」
──こうした言葉を見て、不安になるのは自然なことだ。
でも今はまず、「これは誰に向けた話か? どんなモデルに基づいているか?」と考えるようになった。
最近では「老後に4000万円必要」と煽るような記事も出てきたが、もはや苦笑するしかない。
こういう煽りは、インパクト勝負の記事が数字を取りに来てるだけだとわかってしまう。
煽られて動揺するよりも、「構造で見る」ほうが確実にラクだ。
投資を通じて自然と身についたこの視点は、思っていた以上に日常で役立っている。
僕自身がどのように悩み、S&P500という選択肢にたどり着いたのかを率直に綴っています。
仕組みを見れば、騙されることはない
投資に触れていると、「どうやって利益を生んでいるか?」という目線が自然と育つ。
これは、知識というより“視点の癖”に近い。
副業や商材の広告、マルチまがいの話。
どれも「誰がどこで利益を取っているのか?」という構造で見ると、シンプルに判断できる。
実際、そういった話が集まる場には近づかなくなったし、人間関係も自然と整理された。
情報に強くなるというより、「怪しいと思ったらまず仕組みを見ろ」が身についた。
この変化だけでも、投資を続けた価値があったと思う。
投資を始めた当初の迷いや、完璧主義を手放して“とりあえず始める”ことの大切さを掘り下げています。
明日のために生きる。その手段が見えた
もともと「明日のために今日を使う」──そんな考え方が自然にあった。
将来の自由や選択のために、今の時間をどう使うかを考えていた。
投資は、その感覚を“現実的な手段”として結びつけてくれた。
「これなら可能性がある」と感じられたのが大きい。
特に、一人の時間の使い方は大きく変わった。
なんとなくスマホを触って終わる時間に、「これは未来の自分に意味があるか?」と自然に問い直すようになった。
時間はお金以上に価値のあるリソースだと実感している。
そう思えるようになっただけで、生活の質は明らかに変わった。
自分の軸で選ぶようになった。でも、孤独もある
投資を通じて、自分の判断軸で動けるようになった。
「みんながやっているから」ではなく、「自分が納得しているか」で選ぶことが増えた。
一方で、人付き合いは減った。
社会人としての“普通の付き合い”は、今ではほとんどない。
人間関係が“狭く、でも深く”なったと感じている。
表面的な付き合いが減った代わりに、無理せず関われる関係だけが残った。
それは「自分を偽らずにいられる」という安心感につながっている。
資産よりも、判断力と自由が残った
最初は、資産を増やしたくて投資を始めた。
でも数年経った今、いちばん得られたのは判断力と心の軸だと思っている。
不安を煽る情報にも過剰に反応しない。
怪しい話を“構造”で見抜ける。
時間を大切に使おうとするようになった。
人間関係も、無理せず選べるようになった。
資産額のように見えるものではないけど、これらの変化は確実に自分をラクにしてくれた。
あなたは、投資で“どんな変化”を期待していますか?
「選べる自由」の途中に、投資があった
お金の余裕ももちろん大事だけど、
それ以上に、どう生きるかを自分で選ぶ余白が増えたことの方が大きかった。
投資は、そんな“選べる自由”をつくる地盤になってくれた。
このブログ「自由の途中。」にふさわしい変化だったと思う。
今回は、投資を続けるなかで得られた良い変化を中心に紹介した。
ただもちろん、いいことばかりではなかった。
次回は、含み損に凹んだことや、やめたくなった時期も含めて、投資の“つらかった面”を正直に書いてみようと思う。
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