自分で選べない毎日が、息苦しいだけ

FIRE計画

「働くのがしんどい。でも、働かないなんて無理」──そう思ってる人は多いと思う。
実際、僕もずっとそうだった。

でもあるとき気づいた。
働きたくないんじゃない、自分で何も決められないことが、息苦しいんだ──と。


冒頭

「朝起きて、会社に行って、誰かが決めた時間に昼食をとる」
そんな毎日が、これから40年以上も続くと考えると──正直、息が詰まりそうだった。


ブラックな職場ではない。
怒られるわけでもないし、給料だって並にはもらっている。
でも、それでも「違う」と感じていた。

なぜなら、僕の人生なのに、選べることが少なすぎるからだ。


「人生=労働」が前提なの、おかしくないか?


いつからか、「人は働くために生きる」が当然になっていた。
週5日、1日8時間。毎週同じスケジュールで、同じ場所へ向かう。

その枠から外れた瞬間、「甘え」だとか「逃げ」だとか言われる。
問い直すことすら、許されない空気がある。

でも──
本当にそうだろうか?

本来「働く」とは、自分の人生を良くするための手段だったはず。
それが今では、人生のすべてが“仕事のため”に組まれているように感じる。


「働きたくない」のではなく、「選びたい」だけ


働くことが嫌なわけじゃない。
ただ、自分で働き方を“選べない”ことが苦しい。

僕が本当に求めているのは、もっと柔軟な選択肢だ。たとえば──

  • 月曜に15時間働いて、火曜は完全オフにしたっていい
  • 28歳からの2年は人生を見つめ直す時間にして、65歳以降に回収してもいい
  • 成果さえ出せば、平日の昼に散歩してもいいはず

それくらいの裁量や柔軟性が、本来あってもいいんじゃないか。

でも現実には、有給すら「周囲の目」を気にして遠慮する空気がある。
ゲームの新作が出たから1週間休みたい──なんて言おうものなら、評価を落とす覚悟がいる。

それって、本当に“自分の人生”なのか?


結局、自由なのは「仕事外の時間」だけ。でもそれすら、自由じゃない


たとえ残業がなくても、平日の夜や休日が完全に自由とは言えない。
なぜなら──前後に仕事があるから

  • 月曜の朝があるから、日曜の夜は早く寝る
  • 翌日の疲れを考えて、遊びの予定を抑える


つまり、自由時間のすべてが“労働の枠組み”に管理されている。

どれだけ「プライベート」と呼ばれても、
実態は“仕事に最適化された余白”にすぎない。


だから、FIREを選んだ


僕は、FIREを「働かないこと」だとは思っていない。
「自分で選べる状態」をつくる手段だと思っている。

“やらなければいけない”を減らして、“やりたいからやる”に近づくための仕組み。


逃げじゃない。
生き方を取り戻すための方法だ。

たとえFIREに届かなくても──

  • 貯蓄の習慣が身につく
  • お金と向き合う力がつく
  • 人生を自分で設計しようとする意識が育つ


──それだけでも、普通に生きていたら得られなかった価値だと思っている。


最後に


働くことに罪はない。
でも、自分で選べない人生を“当たり前”だとは思いたくない。

与えられた選択肢だけじゃ、僕は生きていけない。
自分で考えて、自分で決めて、自分の足で歩いていきたい。

だから僕は、**「自由の途中」**にいる。
……きっと、あなたの人生も、誰かのものじゃなくていいはずだ。




「普通に生きたら終わり」──
そう考えた僕が、なぜFIREを選び、「自由の途中。」を始めたのか。
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